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境界線ギリギリに建築し、住環境破壊のガーラ・プレシャス東麻布不買運動
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二子玉川ライズ住民訴訟は二子玉川ライズ反対運動にとって大きな勝利である。形式的には住民側の訴えの取り下げによる終結であるが、裁判所の働きかけを受け、区長側から住民参加や風対策などの発言を引き出した上でのものであり、和解的解決と評価できるものである。もともと住民訴訟は私権の回復を求める通常の民事訴訟と構造が異なる。行政に住民参加の必要性や二子玉川ライズの問題点を認めさせたことは住民運動にとっては勝利と評してよい。

特に区長の陳述で「法令に基づく環境影響評価の手続きに則った適切な対応はもとより、きめ細やかな対応を事業者に求めてまいります」と法令以上の「きめ細やかな対応」を求めることを宣言した点は高く評価する。典型的な行政の対応は「法令や国の定める基準に従っているから問題ない」というものである。

たとえば除染による放射性物質の拡散の問題を指摘した市民団体・市民が求め創るマニフェストの会の公開質問状に対し、古川道郎・川俣町長は以下のように答えた。

「除染後の放射性物質の収集については、環境省が発行している『除染関係ガイドライン』および福島県が発行している『除染業務に係る技術指針』に基づき収集します。また、その保管については、前述の『除染関係ガイドライン』に従い川俣町の地勢・地形に適した仮置き場を設置します」(林田力「古川道郎・川俣町長が除染についての公開質問状に回答」PJニュース2012年3月5日)

除染の危険性に対する疑問には答えず、環境省や福島県の基準に従っているから問題ないという姿勢である。この種の姿勢は究極的には「お上が決めたものであるから、臣民は黙って従え」という姿勢につながる。この種の姿勢は新種の公害被害に無力である。「法令がないから被害が出ても仕方がない」という姿勢では憲法が生存権などの人権を保障している意味がない。

これに対して区長の陳述は従来型の行政の姿勢を一歩踏み出すものである。再開発組合も「法令の基準を満たしている」と開き直ることはできなくなった。仮に開き直ったとしても、住民側は区長の陳述を武器に再開発組合側の開き直りに反論し、一歩進めた対応を要求することができる。

一方で住民側と世田谷区長側には依然としてギャップがあることも否めない。

第一に風害など二子玉川ライズの環境被害について、住民側は世田谷区が主体的に解決すべき街づくりの問題と位置付ける。これに対して区長側は一義的には事業者の問題で、自らは事業者に働きかける存在としている。既に再開発組合は風害対策について行政任せの無責任な回答をしている(林田力「二子玉川再開発説明会で住民の懸念続出=東京・世田谷」PJニュース2011年5月16日)。世田谷区と再開発組合が互いに責任逃れを演じられる無責任体制に陥るという一抹の不安がある。

第二に公共性についてである。二子玉川ライズは分譲マンションや賃貸オフィス、ショッピングセンターと公共性と無縁な営利目的の再開発である。そこに膨大な税金が投入されることが批判されている。これに対して世田谷区長側は図書館などの公共スペース拡大に言及する。しかし、住民側は低層住宅地や公園予定地の都市計画を開発目的のために変更し、超高層ビルを建設できるようにしたことを公共性に反する街づくりと主張する。超高層ビルに公共施設が入ったとしても、住民の問題意識は解消しない。税金の使い方の観点では公共施設が再開発ビルを賃貸することは税金の無駄遣い、税金による再開発の尻拭いになる(林田力「デジタル映像産業誘致は二子玉川再開発の尻拭いか=東京・世田谷」PJニュース2010年4月30日)。

二子玉川ライズ住民訴訟は和解的決着という点だけでも異例であるが、内容にも注目すべき点がある。

第一に裁判官が最後に今後の両当事者の努力に期待する発言をしたことである。これは裁判の終結で終わりでないことを意味する。住民訴訟でこそ和解は珍しいが、民事訴訟全般では裁判所は和解に異様なほど熱心である。

ここには当事者の利益よりも、上訴させずに紛争を現在の裁判限りで終わらせてしまうことに価値を見出す思想がある。これは判決を書きたくないとか仕事を少なくしたいという怠惰な公務員根性として説明可能である。しかし、法学の世界では紛争の一回的解決や訴訟経済という、もっともらしい用語で正当化されているために厄介である。

重要なことは表向き「和解で終わらせた方が互いにとってプラスになる」と言ったところで、当事者の利益以外の動機で和解が勧められることである。そのために当事者を脅迫するなど、何が何でも権利主張を諦めさせるような当事者無視の和解手続きも皆無ではない。これに対して二子玉川ライズ住民訴訟では裁判所が訴訟後も当事者間での話し合いによる継続的な努力を求めている。「さっさと紛争を終わらせてしまおう」という悪しき和解推進論とは対極にある。

第二に住民側の陳述と世田谷区長側の陳述を口頭弁論調書に併記したことである。前述のように住民側と世田谷区長側の陳述にはギャップがある。その違いをそのまま認めて記録する。何らかの合意(という名目の妥協)を強制するのではなく、ギャップを今後の双方の話し合いの出発点にする。このような方法が採用できたことは二子玉川ライズ反対運動の成熟を示すものである。

日本では行政側にも市民運動側にも、自己の考えだけが唯一絶対であり、相違を認めない偏狭な発想がある。前述の「国の基準に従っているから問題ない」という行政の姿勢は一例である。往々にして市民運動は行政の独善に苦しめられる側であるが、残念なことに市民運動家の側も、この種の偏狭さと無縁ではない。その種の人々は同じような人々の僅かな差異を取り上げて攻撃する内ゲバを展開し、破壊しか残らない。権力側にとっては矛先が外れて万々歳となる。

その中で二子玉川ライズ反対運動は行政を住民主体の街づくりに巻き込む住民運動の一手法を提示するものである。民主主義は最初から出来上がった形で提示されるものではない。住民が行政と協議を続けるところから、民主主義は作られていく。
http://www.hayariki.net/futako/appeal120313.html
二子玉川ライズ住民訴訟の終結は二子玉川ライズ差し止め訴訟(再開発の差し止めを求めて二子玉川東地区第一種市街地再開発組合を提訴した訴訟、最高裁に係属中)、二子玉川ライズ取り消し訴訟(二子玉川東第二地区市街地再開発組合設立認可取り消しを求めて東京都を提訴した訴訟、東京地裁に係属中)に影響を与えることが予想される。また、他の住民訴訟にも参考となる材料を提示する。
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プロフィール
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林田力
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男性
自己紹介:
東急不動産だまし売り裁判の被害経験を活かし、『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』を執筆、インターネットメディアへの寄稿やマンション被害・住民運動を取材する。東急不動産だまし売り被害者として、林田力はマンション建設反対運動やゼロゼロ物件詐欺、追い出し屋被害に対しても強い共感をもって行動している。東京都世田谷区の二子玉川東地区再開発(二子玉川ライズ)の住民被害や反対住民運動を詳細に紹介し、「世田谷問題を精力的に取材されているネット・ジャーナリスト」と評される。マンションだまし売りやゼロゼロ物件詐欺など悪徳不動産業者の実態を明らかにすることで、消費者や住民の権利拡張に寄与している。
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